青森ねぷたに映る鬼を見てきた 鬼神お松と荒武者の鬼の形相の真意

青森ねぷた 家・町

夏の夜空を、勇ましい武者の絵が描かれた大きな灯籠がゆっくり動いていく様子を見たことがありますか?
「青森ねぷた祭」です。

青森ねぷたの山車の絵柄は基本的に「武者」「歴史人物」「神話の英雄」を描く伝統が中心です。
ただし、時には鬼や妖怪といった“怪異”も登場します。

今回は、先日青森を訪れた時の画像を交えながら、自分が感じた「青森ねぷたに鬼と妖怪」を紹介していきます。

青森ねぷた祭の起源

筆者撮影

当初人々が何を願って始めたのかについて、現在では次のように考えられています。

七夕祭りの灯籠流しがルーツ

奈良時代(710~794年)に中国から伝来した「七夕祭」の灯籠流しが、津軽地方の民俗行事と結びついたものとされています。

 

七夕祭では7月7日の夜、穢れ(けがれ)や悪霊を川や海に流して無病息災(むびょうそくさい)を祈る「禊(みそぎ)」の行事が行われ、それが後にねぷた祭の海上運行や灯籠流しの形で受け継がれました

津軽の「精霊送り」「虫送り」「眠り流し」との融合

同じころ、津軽地方では夏の暑さや夜の眠気、病気を「精霊」「虫」「疲労」に見立て、松明や木の葉を持って夜間に練り歩き、それらに宿った穢れや眠気を川へ流す、いわゆる「眠り流し」の風習がありました。

 
紙や竹、ローソクが普及すると、松明は灯籠(ねぷた)へと変化し、これらの行事が一体化して「ねぷた流し」へと発展したと考えられています

初期の目的:無病息災と魔除け

はじめは、灯籠に疲労や夜の眠気、さらには病気や悪霊を託して流すことで、体を清め、夏を元気に乗り越えることを願う「無病息災祈願」「魔除け」の行事でした。
また、農作業の妨げとなる眠気を追い払うことで、豊作を祈る意味もあったといわれています

坂上田村麻呂伝説

一方で、「平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐の際、敵をおびき寄せるために灯籠を海に流した」という説(田村麻呂説)もあります。

坂上田村麻呂といえば、鬼・大嶽丸(おおたけまる)を討伐したことで有名ですね!

青森ねぷたの鬼・妖怪

筆者撮影

なぜ鬼・妖怪を描くのか?

魔除け・厄払い。
鬼の形相で山車を動かすことで、町に潜む邪気をはねのけると信じられてきました。

鬼退治や妖怪との戦いは、昔話の再現だけでなく、現代の問題を風刺する題材にもなります。

遠目でもわかりやすいインパクト

大きな目や大口を誇張した表現は、夜間のパレードでも遠くからはっきり見えます。

怪異の姿は「おどろき」「わくわく」を生み、祭り全体の一体感を盛り上げます。

青森ねぷたの鬼・妖怪山車の一部

筆者撮影

「桃太郎の鬼退治」

童話『桃太郎』を題材にした「桃太郎の鬼退治」は、1950年代によく見られた定番テーマでした。

「陰陽師、妖怪退治」

平成28年(2016年)市民ねぷたでは、陰陽師が霊符を用いて魑魅魍魎を退治する場面を忠実に再現した大型ねぷたが登場。

妖怪が“討たれる側”として描かれることで、伝統的な怪異観をねぷたに取り込んでいます。

「妖怪大集合のねぷた」

平成29年(2017年)、青森山田学園による「金神長五郎 仁王と相撲をとる」では、一つ目小僧などさまざまな妖怪が登場。

仏や仁王と対峙するユーモラスな構図が好評を博しました。

鬼の形相

筆者撮影

描かれている荒武者の顔の表情を何というでしょう?
「鬼の形相」ですよね。

ここにも「鬼」がでてきました。というかこの言葉の主役になってますよね。

形相(ぎょうそう)とは、もともと中国の仏教哲学で、梵語の「lakṣaṇa(ラ―クシャナ)」やギリシャ語の「eidos(エイドス)」を訳した語で、「外から見える特徴的なかたち・姿」を意味します。
日本では平安~鎌倉期の仏教書から用例があり、のちに「(特に激しい感情を帯びた)顔つき」という慣用的意味で定着しました。

 

中世以降、能楽の女鬼(般若面)や、江戸期の歌舞伎における隈取り(くまどり)
いずれも「鬼のように恐ろしい顔」を演出する舞台化粧・面具──が流行し、観客に強烈な印象を残しました。
こうした「鬼の顔をした人間」のヴィジュアル表現が、言葉としての「鬼の形相」を裏打ちしたと考えられます。

鬼神お松

筆者撮影

衝撃を受けたこの絵「鬼神お松」です。生首が・・

この「お松」もねぷたの絵柄に登場したことがあります。
ただし、目立つ正面の絵、鏡絵(かがみえ)にではなく、
見送り絵(みおくりえ)と呼ばれる裏面です。

「見送り絵」は。鏡絵のストーリーの続きや、登場人物のその後、美人画や神話・民話の一場面などが描かれることが多いそうです。

奥入瀬渓流の石ヶ戸

筆者撮影

鬼神お松の伝説は、まさに青森奥入瀬渓流の名所「石ヶ戸(いしげど)」と深い縁があります。

伝説の舞台:石ヶ戸(いしげど)
奥入瀬渓流にある大きな岩屋「石ヶ戸」は、自然の洞窟状の岩盤です。
ここを鬼神お松の住処とし、旅人をおびき寄せて金品を奪った.

石ヶ戸に住みついた美女の盗賊お松――という物語が伝わっています

福助も妖怪

筆者撮影

ねぷたに福助もいました。

江戸で流行した福の神の人形叶福助。
願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られたました。
一応、妖怪の部類に入るようです。

番外編

鬼・妖怪とは違うのですが「狛犬」


岩木山神社に行ったとき、たくさんの狛犬たちが守っているのですが、門に初めて見る面白い「狛犬」を見つけました。

門扉に上を向いた狛犬(金運アップ)下を向いた狛犬(恋愛運アップ)なのそうです。

筆者撮影
筆者撮影

まとめ:青森ねぷたに映る鬼を見てきた 鬼神お松と荒武者の鬼の形相の真意

この記事では、青森ねぷた祭に出てくる鬼や妖怪(ようかい)についてお話ししました。

まず、ねぷた祭は昔の灯籠流しや、眠り流しという行事から生まれました。

人々は灯籠に病気や疲れを託して流し、無病息災や豊作をっていたのです。
それが、やがて大きな武者絵や妖怪の山車(だし)になり、夜でもはっきり見えるように色を塗り、ライトを入れて光るように進化しました。

鬼や妖怪の山車は、ただ怖いだけではありません。
悪いものを追い払う「魔除け(まよけ)」の役目もあれば、環境問題や社会の出来事を伝えるメッセージを込めた作品もあります。

ねぷた祭を見に行くときは、色と光の演出だけでなく、“怪異(かいい)”が持つ意味や、山車を作る人たちの思いにも注目してみてくださいね!